三回忌のご案内 

ICUの窓に濃き群青色の空
百億の死のひとつ


窓の下は野球場の人の波
手術は八月二日だったか


百億の逝く生命の一個分
たいしたことではない と笑った



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霧に煙る 

五年前、酔ったあなたは呟いた。こんな時代に子どもを産むの?



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★お知らせ★ 

「この道は 濃霧のために もう5年 通行止めになっております」



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ボクハシニマセン 

千の死を看取った彼はやすやすと
死 という文字さえ用いなかった


練炭を車の中で燃した人
その自動車を曳いてゆくひと



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渚にて 

渚に集う人々は同じ願いをかけ夕日に十字を切る。


憂鬱を連れてロシアに風邪ひきの鳥は水辺を旅立ちました。


全て関係あると学んだので
そんなのかんけーねー はおしまい?



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子どもたちは貝がらを拾って 

この海でふたりは恋に落ちたのよ。あなたのパパではない人だけど(^_^)


ほら、背中のここ。水着のアトがまだ残ってるでしょ。わからない?そう・・・



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時速三百キロで彼の元を去る 

転勤や就職など、人の動きがピークになる春の頃は、
私の勤める小さな不動産事務所にも、やはりそれなりに、
多くのお客様が来店をされるようになります。
そのため、毎年その季節になると一人か二人、アルバイトの方が
入ってこられるのでした。
この春のアルバイトさんは、高校を卒業してからずっと就職をせず、
フリーター生活をしているという二十歳の女の子で、
どういうわけか、とても私を気に入って下さったようでした。
事務所の中で一番年齢が近い同姓、という馴染みやすさもあったのでしょう。
彼女はおりふしに、
ご自身のプライベートなお話を聞かせて下さいました。

彼女が就職も進学もしなかったのは、
高校二年生の頃からお付き合いをしていた男の子のためでした。

同い年の彼は、愛知県の大企業に就職が決まりました。
二人の育った、熊本県と福岡県の境にある小さな町では、
高卒の男子を受け入れる企業など、ないのです。
生産台数が世界一という自動車メーカーの工場に採用が決まったとき、
両親や教師たちは、
まだ十八歳の少年がひとりきり、遠い町で暮らさねばならないことより、
一部上場企業で働くことのできる、
きっと豊かで平穏な一生を約束された彼の未来を、
手放しで喜んだのでした。

彼が故郷を出て、聞いたこともない名の町の独身寮で暮らすことになったと知り、
彼女は進学をすることをやめました。
「ほんとはですね、看護師になりたくて。
 専門学校に行くはずだったんだけど、でも学校入っちゃうと
 バイトもできないし休みもないし、会いにいけないでしょ」
そうして不定期のアルバイトをしてお金を貯め、
月に一度か二度、新幹線で数時間かかる彼の元へ通う生活を選んだ。
「名古屋って都会なんだけど、やっぱり九州のほうがいいかなあ」
食べ物とか味が濃くて、でも味噌カツは美味しかった。
彼と訪ねた名古屋の町での出来事を、彼女はよく、楽しげに話していました。

やっぱり九州のほうがいい、と口では言うけれど、
二年を過ぎて彼が仕事に慣れ、生活にも余裕ができる来年の春には、
家を出て、彼の住む町にゆく。そう、約束をした。
その日まであと何ヶ月こんな暮らしを、あと何度、こうして
新幹線に揺られて彼の元へ行き、
週末の僅かな時間を過ごし、日曜の深夜の電車にまた独り乗る、そんなことを
繰り返せばいい。
そうして彼女は指を折りながら、約束の日を待っているようでした。


数日前の午後、事務所のドアを押して、
見覚えのある顔が入ってきました。
「おひさしぶりです!あのですね、安いのでいいんだけど、
 ワンルームありませんかあ」
あら・・・と口ごもり、尋ねることをためらっている私に、彼女は
春の頃、きみはいつも元気だねえ、と男子社員からも可愛がられていた
笑顔を作りました。
「彼と別れちゃったんですよお。それで地元は働くとこないし、
 こっちに出てきて、仕事探そうと思って」
なぜ別れたのか、理由は聞きませんでした。ただ、
仮申し込みの書類にサインをしながら、顔を伏せ、独り言のように、
ぼそぼそとつぶやいた。
三年も付き合って、お互いの両親も紹介しあったのに。
あと半年のガマン、のはずだったのに。
こんなことになるとか、考えもしなかった。

社会保障費の負担もなく、低コストで雇い入れることができるという理由で、
企業は臨時雇用の割合を増やしていて、
政治に携わる人は、それを変えなければならない、という。
けれど時折、女は政治家や経済学者、という人々の想像もつかない理由で、
社会の仕組みから外れることを、選ぶ。

ただ、彼に会うために、新幹線の切符のために働き、
旅費が貯まればそのアルバイトをやめ、帰ってくれば
飛び石を渡るように、渡り鳥のようにまた、次の仕事を探して情報誌のページを繰る。
切符をあがなうために流行の洋服も友人との食事も唇を噛んで諦め、
看護師になるはずだった未来もためらわず捨て、
ただ愛知と九州を往復し続け、彼女の
三年間は過ぎた。

女は時折、そうして自身を、あっさりと男に委ねる。
男に寄り添うことで、夢とか、希望とか、そんなあやふやな何ものかを
叶えようとする。
そのふがいなくて切なくて、よるべなくて打算的で情けなくて、けれど
そうできる、求めていた未来も何もかも男のために捨ててしまえる、強さも、
女、なのだろうと思います。

彼女がリストから選んだのは、築十二年のワンルームでした。
駅から十五分、管理費込みで48,000円は、昨今では割安といえる。
「どうもありがとう。またきますねー。こんど、差し入れもってきます!」
下見担当の男性社員に促されて立ち上がり、彼女は背を向け、
ガラス扉の前で振り返り、また、あの笑顔を作った。


別れる、と決めた夜、彼女は泣いただろうか。
彼の元を、
彼の住む町を時速三百キロで走り去る新幹線のシートに体を埋め、
窓の外を飛ぶように過ぎる夜更けの街の灯りを、彼女は泣かずに、見ていたと、私は
思うのです。

部屋を案内したスタッフの話では、検討をしてみる、とのお返事で、
市街へ送ると、そのままどこかへ歩き去ったそうです。
その後今日まで、彼女からの連絡はありません。



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きみのプリプリのお尻の蒙古斑 

あたしってなにじん?きみは唐突に本質的な質問をする


そのむかしキング牧師が述べられた意味でいうなら流人でしょうか



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文学部学生のみなさんへ 

ラッキーなことに地雷は校庭に埋まってません。聞いてなかった?


安全が確認されたようなので心ゆくまで恋バナなどを


シュールでもレアリズムでもなかったね いまいるここのほうが不条理



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「あたしキレイ?と女は問いかける」 

今ではあまり知られていないと思うのですが、
ひととき、八十年代のカウンターカルチャーの象徴という評判だった、
年老いた作家のごく短い短編に出会った際のことを、
今でもよく覚えています。

アメリカの田舎町で、浮浪者のように町々を旅する、
年老いた醜い男が、
まだ二十歳にもならない、輝くような少女に出会う。

まちでいちばんの 美女。

薄汚れたバーのカウンターで、男が美しい、と話しかけると、
女はそこにあったピンで突然、自分の頬に傷をつけ、
血の流れる顔を向けて問うのです。

「これでもキレイ?あたしを好きでいてくれる?」
その夜、二人は暖かく、切ないセックスをする。

数日後、姿を消した少女を探し歩いた男は、
バーの客と揉め事を起こし、警察に捕らえられていた彼女を見つける。

「なぜそんな無茶をするんだ」
とがめる老人に、彼女はいうのでした。
だって、男が、あたし、を好きになってくれたと思ったんだもん。
あたしの、顔や、体、じゃなくて。


私よりずっと若い友人の部屋を訪ねた折、
書棚にこの小品を収めた短編集があることに気付きました。

その小説家を、好きなの?と尋ねると、彼女は
本を手に取り、
懐かしそうにページを繰りました。

「前に話したでしょ。短大生のときに知り合った、ってゆうか、
 すごく大切だったひとに、もらったんです」

この作家は多作な人で、
女性が読んであまり楽しいとは思えない作品も多いのですが、
この短編を選び、贈った人は、
そのとき彼女の未来に、ひとつの予感を持ったのかもしれません。

その人に、何度か、抱かれたことがある。
いまはもう、手の届かないところに行ってしまった。
出会ったばかりの頃、
彼女は私に、その女性との小さな昔話を打ち明けたのでした。

彼女は、美しい人です。
その笑顔には、
冬の日の陽だまりのように、凍りそうになった人の心を溶かす力がある。

きっとこの人は、今日まで千回も、言われたのだと思います。
きれいだね、きれいな体だね。
その言葉の回数分、彼女は控えめに微笑みを返し、
それから気取られぬよう、まなざしを伏せた。
高校一年の春、数人の男に輪姦をされたことは、もう忘れた。
けれど、
かさぶたに滲む血を舐め取ろうとしてくれた人の記憶は、
いつか私にした昔話は、
言葉をかけられるたび、心の中で反芻をする。

町へ食事に出かけよう、ということになりました。
私はハンガーから上着を外す。
ちょっとだけ、待って。テーブルに小さな鏡を置き、彼女は化粧を直し始める。

「やだ、そんなに、見ないでくださいよー」
注意深く眉尻に細い線を引きながら、私の視線に気づき、頬を赤らめる。
鏡を見つめる横顔の、
ほんの少し開いた唇の隙間から桜色の小さな舌先が覗き、
艶々と美しい上唇の端を、微かに濡らした。


町を出て、再び舞い戻ったとき、男は、
少女が狂い死にしたことを知る。
たしかあの小説は、そんな終わりかたをしていなかっただろうか。それとも、
彼女は自死したのだったか。

男は、旅に出たことを悔やむ。悔やみ、けれどきっと、
そばにいても何の役にも立たなかっただろうと、自身の無力をまた、
悔やむのです。

いつでも女は、もっと綺麗になりたいと思っている。もっと、もっと、
昨日よりもっと。
男が、綺麗な顔と体を好きだと、知ってもいる。
でも、綺麗なわたしを好きになって欲しいから、綺麗になりたいわけではない。

そしておそらく、それに気づき、女を狂い死にから救う男は、そう多くはない。
その、不合理な暗示に。



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ペニスと昔話 

あのひとの乳房の先がわたくしの乳首に触れて勃起していた


柔らかく噛んだ付け根の毛の奥を嗅いでいたいときみは呟く


ゲイだとかレズビアンとかバイだとか差別用語の棘に微笑む


わたくしのパンツを半ば下げたまま きみはスタスタ行ってしまった



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ある猫の生涯 

猫が死んでいた
仕事に向かうバイパスの先、大きな川を渡る橋は
いつも混んでいて

その朝も混んでいて、橋の中央あたり
前の車が急停止をして、わたしも急ブレーキを踏んで

そのとき、白いラインの上に横たわる猫が
フロントウインドウの左端を通り過ぎていくのが
見えた

見えたけれど、わたしはいつも、そういうものを見ないようにするので
右側に、視線を逸らした

その日の夕暮れ、橋を渡るまで、猫のことを忘れていた

反対車線の、こちらを向いて停まる車の足元に
そのなきがらが、まだあることに気づき、わたしはまた
目を逸らした

翌朝、猫は
きっと夜通し通る長距離トラックの大きなタイヤに何度も轢かれ
赤茶色の毛羽立ったぼろ布のようになっていて、それでも
そこにあった

次の朝も、そこにあった
昨日よりも煤けた鼠色の、ぼろ布のちぎれたひとかけらになり
刻印のように
アスファルトに、張り付いていた

その夜、強い雨が降った
窓を叩く雨粒とひゅうひゅうと鳴る風に
布団の中で娘はいつもより強く、わたしの手を握った

朝、タイヤが通るところだけ渇きかけた橋の
三車線のアスファルトに
その刻印は、なくなっていた

雨に流され、道路ぎわの溝に流れて
地下の汚水管に流れ、そうして
猫の一生は、終わったのだと思う



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見えていないものと、見たくないものと、見たつもり、のもの。 

トラックの救援物資を奪い合う人が昔の彼に似ていた


道に猫のなきがら ぼくはいつも そういうものを見ないようにする


お義父さん また梅雨の花 咲きました
あなたの好きな季節でしたね



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学者は世間を見たような気になる。 

もういまは惰性で笑う人形と
心理学者も見抜けないまま


抜け殻と霊媒師にさえ悟らせず
ただうなだれて諭されている


ぜんまいの いのちの終わりの ようです 神経症の メトロノームは



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少女の記憶 

闇夜の砂浜に打ちあげられた小さな潜水艦を見つけた


美しい水田のくにスーチーとかいう人の国 今日も雨降る


本籍が赤ちゃんポストであることを誇りて生きよ十七人の子



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レミングの行進 

カメルンの笛吹きを追いリクルートスーツの群れが踊りながらゆく



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忘れたいことを忘れられる仕組み 

スマトラの津波で死んだ人の子を友は島根の漁村で産んだ


またきょうもえらべないままふたをした
ななつのいろのゼリービーンズ



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ほどほどになさいませ 

愛よりもチェリーの枝が結べないほどの舌技がご不満のよう


献身も一途も無垢も貞操もメニューよりどり整いました



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おかえし 

口の中に熱の塊を感じたらニガくても飲み込みましょう


喉の奥に壊れた魂を感じたら毒。こっそり吐き出すの


残りは口うつしで返してあげる。生臭い生き方そのものを



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クレソン 

就職をした年の夏、その頃お付き合いをしていた人と
九州の、湯布院温泉を訪ねました。

雑誌のグラビアでよく見かけるような、知られた屋号の旅館は
二十歳を過ぎたばかりの
私たちに手の届くはずもなく
二人はひと月も前から、会うたびに旅行ガイドを開いては

ここにしようか
それともここは露天風呂がよさそう、少し高いけれど、と
タックシールで印をつけ合った

記憶に残っているのは
そうして訪れた一夜の宿より、むしろ
プラスティックカップのアイスコーヒーを啜りながら
小さなテーブルに広げた何冊ものガイドブックを、顔を寄せ合い
覗き込んで過ごした、蒸し暑い初夏の
カフェなのでした。

二人きりで、小さな旅をする
二人が、同じ目的を持っている
その実感が、嬉しかった


それでも夕食を終え、お湯にも入り
浴衣のまま、手をつなぎ日の落ちた小川のほとりを歩いたことは
覚えている

旧い日本映画のスクリーンに迷い込んだような
木造りの小さな橋を渡ったとき
目の下の流れの周りに
背丈の低い、濃い緑色の草が、一面に茂っているのに気づきました。

葉のかたちに、見覚えがある
小走りで舗道の石段を降り、摘んでみると、やはりそれは
クレソンでした。

小ぎれいなレストランの、美しくしつらえられたサラダの端に
よく、ひと枝か二枝
可愛らしく添えられている、クレソンは

そこでは、私でも勢いをつけて跳ねれば
飛び越せそうなほどの小川の
ゆるやかに弧を描いて見えなくなる
ずっとずっと下流にまで

こんもりと毛足の長い、深緑の絨毯のように広がって
街灯や、川沿いの旅館の灯りに浮かび
山から降りてきた風にそよいでいる


翌年の初春に、結婚をしました。
夫は十二歳年上の、会社の上司でした。

役員にも目を掛けられるほどの営業マンだった彼は
そのころの私には眩しい、憧れに映ったのかもしれません。

陽射しが長くなるのを待ちわびて、彼にねだり
園芸店に連れて行ってもらった

白いプランターを三つと、その分量の土
それからスイートバジルとアップルミントと、クレソンの種を買った

遅く起きた日曜の朝、狭いベランダにテーブルを開いて
スクランブルエッグの端に、摘んだばかりのクレソンを添える
そんなことを、してみたかった

梅雨があけるころには、小さなプランターに溢れるほどの葉が茂り
たしか一度か二度
バジルの枝を摘み、パスタも作った

彼の帰宅を告げるドアチャイムの音を待ちながら
松の実とオリーブオイルとニンニクと、そして
台所に置けば部屋中が香るほどの、みずみずしい緑色の葉束を
ミキサーでかきまぜて

けれど手すりに嵌め込まれたガラスを透けて差し込む西日を受け、伸び伸びと育つ
葉たちは
その後あまり、使われることはありませんでした。

日付が変わるころ、彼は帰ってくる
ときには、どこかでシャワーを浴びたのか
髪を僅かに湿らせ、石鹸の匂いをさせて

夏の終わり、盛りが過ぎて硬くなり始めた草葉をすべて摘み
バジルは根元から切り取ってビニール袋に詰め
友人にあげてしまった

辛い諍いをした翌朝、ベランダに洗濯物を干しに出ると
それでも、ミントやクレソンは、乱暴に切り払った株の隅に
薄緑色の若葉を開いていました。

もういいのよ、芽を出さなくて。もう、いらないから
そう呟いて、でも
かわいそうで水をあげると、枯れかけた枝の先に開いた
小さな、小さな葉は
濡れて鮮やかに、かわいそうに、光った


小ぶりだけれど、よく熟れた
トマトを買った
それだけの理由で、トマトの料理が作りたくなり
たしかこのあたりに、と
本棚に積んだままの古い雑誌から、一冊を引き出してみる

お料理ビギナーにもできる、プロの味
このごろ見なくなった主婦タレントの笑顔にそんな見出しのかかる表紙は
端が折れ、
背の部分はいくらか色が褪せていて

この七年の間に三度引越しをした。
それでも、その月刊誌を捨てずにいたのは
ただの偶然
だったかもしれません。
主婦の誰もがそうであるように、
私も、気に入った料理の載る本を捨てられない
だからきっと、その程度のことだった

手にしたとき、ページの隙間から
ぱさり、と音をたて
光沢のある紙袋が三つ、床に落ちた
ミントとバジルと、クレソン
折りたたんだ袋の中には、砂粒ほどの黒い種が、まだひとつまみ
残っていました。

手をつなぎ、小川のほとりを歩いた人はその年、留年をしました。
そして私は日毎に、OLの暮らしに慣れた

このお菓子と、こっちのお菓子、どっちにする?
どちらかに決めなさい、といわれ、私はいつも、選んだあとで
後悔をする子だった


いつの頃が始まりかは分からない
いつのまにか町を流れる小川を、湖のまわりを、クレソンが
あのように覆ってしまったのです
旅館の方が、そんなことを仰っていた記憶があります。

川沿いのレストランのお客が食べ残した、あの噛むとわずかにほろ苦い
ひと葉が川に落ち
根付いたのか

それとも、野菜を売り歩くお年寄りのリヤカーが橋を渡るとき
一束がぽとり、と落ちたのか
いまはもう、わからない

金鱗湖と呼ばれる、冷えた朝には幻想のように朝もやが立ちこめるという
林の中にひっそりと眠る湖をみなもとにして
美しい町のなかほどを静かに巡る小川には
いまも
クレソンが茂っているだろうか



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